寂しさや孤独。
これは左脳の、自我を得るためと引き換えに孤独も獲得してしまったところに由来する。
自分だ、という意識は、自分では無いものがあってはじめて自分であると認識している。
自分の肌と外の空気の境界線がなければ、世界に溶け込んでしまい、わたしが「ここからは、わたしだ。」とわかっていなければ自分ってなんだ?ということになってしまう。
生まれたばかりの赤ちゃんは、まだそれがよくわからなくて、体を動かしたり物と触れ合ってその境を見つけていく。
成長するにつれ、自我の意識が高まり、考えて記憶してデータを羅列する左脳が優位になっていくわけだけど、この考える賢いワタシ〈キャラ1〉が、自我をもつ寂しがりのワタシ〈キャラ2〉の感じた孤独と不安の記憶もしっかり羅列して整理して、しまい込んでしまう。
私は、草むらで5時の帰りの鐘がなって、真っ赤に染まる夕焼けを見ながら、この世界というところにポツンと1人きりだと、そう思った。私の幼いときの思い出せる中で自我が形成されていたという記憶だ。
それは鮮烈で、深く深く悲しくて、その心情を今も鮮明に思い出すことができる。
その時は知りようがなかったけども、私の〈キャラ2〉がしっかり形成されている証だった。
だから、わたしの〈キャラ2〉の名前は夕陽ちゃん。わたしの幼少期は、この子がかなり強く出てきていて、この世界を孤独で染めてしまったと思う。
とても多感で、怖がりで、寂しがりやで、逃げたがり。
誰か一緒にいてほしくもあったけど、この世界から切り離されたような悲しみは誰かに癒せるものではない事も、わかっていたように思う。
そう、これは、私が私であるために外と切り離したことで感じる孤独感。しっかり思い出すと悲しみに飲まれてしまうから、、
これは、世界と繋がる深く温かい私の〈キャラ4〉が、「大丈夫だよ」って夕陽を抱きしめてくれれば、大丈夫なんだってことを、もう私は知っている。
わたしはひとりじゃない。
私には、私がついている
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